【書評】『ラクガキ・マスター~寄藤文平~』
■本のタイトル
■著者「寄藤文平」さんについて
・1978年長崎県生まれ
・イラストレーター、アートディレクター
・著書「ウンココロ」「死にカタログ」「元素生活」など
■読もうと思った経緯
趣味で絵を少し描いているが上達している気がしない。
上達している気がしないと楽しくなくなってくる。
でも何となく絵を描いてしまう。
無意識に楽しんでいる?
楽しいが最近よくわからなくなってきた。
本のサブタイトル「描くことが楽しくなる絵のキホン」が目に入り、本書を手にした。
■簡単な要約+感想・気づき
・ラクガキとは
「いちばん大きな世界を描くための、いちばん小さな絵」
絵を描く = 眼で見たモノをそのまま描く
と思っている人が多いがそうではない。
そう思っているのは、学校の暗黙のルールに慣れてしまっているからだ。
眼で見える世界は限られている。
1つのモノでも、時間、想像、構造、ミクロ、マクロ、など眼以外でも様々な角度から見ることができる。
それらの角度から、いろんな世界を自由に描くことができるからラクガキは楽しい。
他人の評価を気にせず、自分の世界を表現している。
ということは、ラクガキは自分の世界の大きさを確認しているのかもしれない。
人は自分で思っているほど、自分自身のことをよくわかっていないので、ラクガキは自分のことを知ることに対しての喜びを感じる行為なのかもしれない。
・絵が教えてくれる
「イメージが絵になるのではなくて、絵がイメージをつくってくれる」
✕ 絵を描くとは、頭の中のイメージを上に書き出す
→イメージを描こうとすると何も描けなくなる
イメージを形にできない(イメージが固まらない)
○ 絵を描くとわからない箇所がわかり、その対象を調べて絵が描けるようになる
→調べて絵を書いていくことで、構造がわかりイメージが固まっていく
絵が完成したとき、本当に完成したのは頭の中のイメージ
何も見ず、想像で絵を描く人を見ると素直に尊敬してしまう。
きっと頭の中でイメージが完成されているのだろうとは思っていた。
でもそれを真似しても描けない。
それは自分の頭ではイメージを作ることが、モノの構造を知らないとできないから。
だから、絵を描きながら分からない箇所を探し、その箇所を明確にして頭の中のイメージをつくっていく。
イメージが明確にできるようになって初めて、何も見ず想像だけで絵をかけるようになる。
これが、何も見ずに絵を描ける人達と自分の差なのかもしれない。
少し話は変わるが、
イメージできれば現実化できるとは自己啓発の本で読んだことあるが、絵でもそれがいえるのかもしれない。
・好きなものを描けばいい
「絵は特別な何かを描かなければいけないと思われているフシがあります」
絵は特別なことを描かなくてもいい。
好きなものを好きなだけ描けばいい。
絵は、個性的じゃないとだめ、想像力を働かせないとだめと思われやすい。
個性は、自分では制御できない。
想像力は、何かをものすごく好きなることとの先にあるもの。
上手く描くではなく、正しく描く(構造を理解する)。
正しく描ければ、想像でいろんな角度で描くことができる。
そうすることで自分の世界を広げることができる。
自分の世界が広がることは楽しいことだと思った。
■感想(まとめ)
人は、想像したことを1割も話していない。
自分の頭で生まれて、自分の頭で消えていく。
それは勿体無いことなのかもしれない。
でも口にすると変な人に思われる。
(教科書の偉人にヒゲを描く、と言葉にしただけは面白さは伝わらない)
だから人は紙にラクガキするのかも知れない。
実際ラクガキを言葉で表現するのは難しい。
言葉でにできないことを表現できる楽しさ。
そこに気づくことで絵は楽しくなる。
どうせ誰かに見せるものでも、何かの賞に応募するわけでもない。
もっと気楽に好きなものを描こうと思わせてもらえた一冊だった。